はじめて

「俺、まだエッチしたことないねん」
 まるでランク戦の作戦会議のときのような、つまり雑談するときと同じような口調で生駒が言い放った。腕を組み、真顔でどっしり正面を見据える姿から猥談の気配を感じ取ることはできない。内面の機微はともかく彼の外面の変化は乏しい。
「はあ、そうすか」
 突拍子もない話題には慣れているので返事もおざなりになる。湯呑みを傾けて喉を潤す水上を、生駒はじっと見つめた。
「みんな高校の夏休みとか彼女作っとるのに俺だけ一人だけ寂しいなあ思うとった。けど、責任を取れる立場になるまで童貞でもええかと考えるようになった。ちゃんとゴムつけても避妊に失敗する可能性はあるんやろ」
「立派な考えやないですか。俺にはそんな真似できへん」
「さらっと非童貞自慢か? まあでも機会があったら彼女ほしいけどな」
 彼女募集中であると公言している生駒だが、しかもB級上位部隊の攻撃手ランカーなので憧れている者はそれなりにいるのだ。三門市ではボーダー隊員というだけで一定の好感を抱く者がいる。水上ですら好意を寄せられることがあったのだから、まして生駒ならなおのこと。
 となれば生駒は人を選んでいるのかといえばそうでもないようだった。単に他人から向けられる好意に疎いだけだった。そうだ、水上の気持ちを知っていればこんな話はしないはずだ。
「イコさん、結構男からモテとるのに。男もいけるんやったらもっとはよう恋人できたかもしれんなあ」
 生駒が異性愛者だから、土俵に立つことを諦め、仲間として友情を築くことで自分を慰めていた。今後恋人ができても応援するつもりでいる。だからこんなことも言える。
「……水上が俺と付き合ってくれるいうこと?」
「ちゃいますちゃいます、なんでそうなるんすか」
 全く想定していない返事を聞いて、口内に残っていた茶を吹き出しそうになった。そこをなんとか堪え、胸元を叩いて気持ちを落ち着ける。
「なんや違うんか。『俺選んでくれ』みたいな顔しとったから」
 感情を揺さぶられたのは水上だけで、生駒は何ら変わらず淡々としていた。これも惚れた弱みか。
「女の子は可愛い子がいいけど、男だったら気にせんな」
「隠岐とか王子とか烏丸とか綺麗めの奴やなあて?」
「女の子にときめきたい。男は一緒におって落ち着くんがええやろ、おまえみたいに」
 どっと全身の毛穴が開いた、気がした。額を拭いたいが手が動かない。そんな人の動揺をよそに、生駒はいつもと変わらず茶を啜っていた。

初稿
2022年8月28日
改稿
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