アイス

 隣から柔らかく笑う声が聞こえた。ちらりと視線をやると、通話する隠岐の姿が視界に入った。容姿に恵まれた彼は、無人の通路をただ歩くだけでも様になる。
「マリオは? 分かった、十分くらいで戻るわ。ほな後で」
 終話ボタンを押してスマートフォンをポケットにしまう。人のよさそうな垂れ目が水上に向いた。
「マリオはバニラ、海は期間限定か新作、イコさんはなんでもええらしいです」
「なんでもええっていうんが一番困るやん」
 ぼやきながら辿り着いたのはボーダー基地本部内に設置されたコンビニだった。三百六十五日二十四時間稼働する施設の要と言っても過言ではない。食堂は営業時間が決まっているがコンビニはいつでも開いているので、それに助けられている隊員は多いはずだ。水上もその一人である。
 ほとんどの部隊は菓子類を常備しており生駒隊もそのうちの一つである。防衛任務にランク戦、訓練などボーダーに費やす時間が長いので、食料の買い置きは自然と多くなるのだ。隊員は食べ盛りが多いからなおのこと。
 なので、声をかけあってみんなの分もまとめて菓子を買うことがある。今回は訓練帰りの隠岐を見かけてその流れで水上と二人で店に行くことになった。
「お疲れ様です! 今ちょうど商品の入れ替えが終わったところですよ」
「どうも。ええときに来たなぁ」
 すっかり顔馴染みになった店員と軽く挨拶を交わす。なるほど、綺麗に並べられた商品に欠けはない。時間帯によってはすっからかんのことも多々あるのでタイミングに恵まれた。
 店の奥にある冷凍平台に向かうと、多種多様なアイスクリームが出迎えてくれた。オープンケースを眺める隠岐が小さく呻く。これだけあれば目を移ろわせるのも無理はない。
 施設内は常に空調管理されており、年間を通して温度差は少ないはずなのだが、それでも冬より夏のほうがアイスクリームの売れ行きはいいらしい。別に暑くもないのにアイスクリームを買おうとしている自分たちがいい例だ。
「いろいろあって迷うわ。おれはソーダにしようかなぁ。水上先輩はなんにするんですか?」
「生菓子もええな。白いたい焼きとかプチシューとか」
「夏に食べるんが一番ウマいのにアイスにしましょうよ」
「冷たすぎるもんは歯に染みんねん。腹も冷えるし」
「そんなおじいちゃんみたいなこと言わんといてください」
「やかましい」
 口角に微笑を浮かべる隠岐の脇腹を小突いた。アイスクリームコーナーの隣に備えつけられた生菓子の棚に足を運ぶ。誰の手もつけられていないそこは選り取り見取りだった。
 新作のプリンを一つとカットフルーツを一パック手前から取っていると、隠岐に手招きされた。
「隠岐くん? 先輩を手で呼ぶんや随分出世したな」
 半眼になった水上の視線を、隠岐は笑顔でいなした。彼はたおやかでありながら性根は図太いところがある。
「おれと水上先輩の仲やないですか。で、海には新作のソルティライチ、マリオにはタヒチバニラとかいうやつにしてみました。イコさんのは水上先輩が選んでください」
「? おまえが電話受けたんやからおまえが選んだらええやろ」
「まぁそうなんやけど……」
 ううん、と隠岐は芝居めいて首を傾げた。
「イコさんは好き嫌いなくなんでも食べはりますけど、やっぱ『ウマい』と『めちゃウマい』くらいの違いはあるんかなぁって」
「で、なんで俺に聞くねん」
「水上先輩のほうがイコさんの好みに詳しそうなんで」
 どうぞ、と隠岐がオープンケースに手を向ける。
「……最近は完熟バナナとか、大学いも味とか変わり種をよう食うとったから、たまにはスタンダードなんもええんとちゃう。抹茶とか普通にバニラとか」
「ほら、やっぱり詳しい。バニラはマリオとかぶるんで抹茶にします。ちょうど限定のあるし」
 隠岐が期間限定の抹茶味をひょいと買い物かごに入れた。水上もそこに自分の買い物を突っ込んで会計に向かわせた。
「単に記憶力の話やな。作戦室で最近何食べとったか思い出すだけや」
「そんなん覚えてませんよ」
「おまえが一週間くらい前に買ったヨーグルトな、冷蔵庫の二段目に残っとんのも覚えとるで。冷凍庫にあるいちごのカップアイスはいつのか知らんけど早よう食えよ」
「水上先輩よう見てはりますね」
「……忘れられんだけや」
 レジに並ぶ隠岐の背中を眺めながら出た小さな声は彼に届いたのか分からない。言い直すようなことでもないので水上はそのまま口を閉じた。
 別に覚えていたくてそうしているわけではない。本のページをめくるように思い出せる記憶が他人より少し多いだけだ。
 それに生駒の一挙一動は妙に記憶に残る。初めて食べる抹茶味のアイスクリームを彼はどんなふうに食べるだろう。そう小さな期待を抱きながら店を出た。

初稿
2022年9月4日
改稿
2022年9月11日